ディズニー映画感想

ネタバレあるので注意

ディズニー シュガー・ラッシュ:オンライン

初見です。
前作シュガー・ラッシュを観た後にこちらも観るつもりだったのですが、イマイチな評価もけっこう見かけたので余韻をぶち壊したくないなぁ…と思ってスルーしていました。

うーん「観なきゃよかった!」ってほどではないけど…蛇足感は否めない…
ディズニーが一時期VHSで乱発した名作の続編たちみたいな印象。ムーラン2を観たときの気持ちに似ている。



舞台は前作から6年後。
ラルフとヴァネロペ、二人の馴れ初めやキャラ設定には特に触れないようなので完全に前作を観た人向けですね。
ディズニープリンセスが総出演するのがウリの一つのようなので、もしかしたらそれ目当てに前作を観ずにこれを観る人がいるかもな〜と思うとちょっと不親切かも。(私は基本的にナンバリング順に観る人間ですが)


変わり映えしない「シュガー・ラッシュ」での日々に退屈さを感じているヴァネロペのためにラルフが新しいコースを作ってあげる。
気持ち自体はありがたいんですがゲームとしてはどうなの…?

新しいコースはバグだと認識されかねないし、プレイヤーの意思を無視して走るヴァネロペもゲームとしてはアウトでしょう。前作であんなに「ターボ」を問題視してたのに…?といきなりちょっと引っかかる。
ラルフは作中「俺のせいで」と口にしていましたがヴァネロペも悪いのでは?



インターネット世界の映像は見事。「リメンバー・ミー」の死者の国を思い出しました。
サーチやポップアップの表現も楽しい。

Wi-Fiに入るときの演出も凝ってます。ちゃんとIPアドレスが出る。
個人的にはリトワクさんのPCが初代iMacだったのが嬉しいです。かわいいよね〜


「スローターレース」に入ったときの両者の反応が正反対で、この時点で「ヴァネロペはこういう世界の方が楽しそうだなぁ」と伝わってきます。

最初から一貫してラルフは変わることを嫌がってるんですよね。
同じゲームで仕事して、ヴァネロペと遊ぶ毎日がいつまでも続けばいいと思っている。ヴァネロペの気持ちがラルフには全くわからないんです。

Wi-Fiなどのネット用語にもいまいち馴染めないラルフはまるで機械に疎いお年寄りのよう(レトロゲームのキャラなのであながち間違いではないですが)
反対にどんどん順応していくヴァネロペ。
前作では「はみ出しもの同士」だった二人が今作ではとことん真逆な存在になっているんですね。


スローターレースでのシャンクとのレース。
正直このシーンが一番楽しかったです。

まずシャンクのワクワク感がすごいんですよね。
ワルそうなイカしたねーちゃんが出てきた!と思ったらめちゃくちゃカッコいいドラテクを披露してくれる。
レースの疾走感は前作から高評価ですしね。

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そしてこのシャンク、ワルそうだけど普通にいい人だった。イエスを紹介してくれたとき何かの罠かと思ってしまってごめん。
去り際のジャンプめちゃくちゃかっこよかった。

カルホーン軍曹が好きなのですがシャンクもいい。前作のカルホーンに比べるとキャラ設定が弱く感じたのが残念。
それでもヴァネロペの進路に大きな影響を与えるキャラではあるので今回のキャラの中では存在感ある方なんだよな〜(他キャラについては後述します)


ラルフの動画のターンは実はそんなに…
私がああいうコンテンツ自体をそんなに面白いと思わないからだと思います。
ラルフの「メイクだろうが何でもやってやるよ!」っていうのは好印象でしたけどね。ラルフ、頑張る方向性さえ間違えなければいいやつなんですよね。


噂のプリンセスのターン。プリンセス血の気多すぎだろってちょっとビックリしました。
特にシンデレラのガラスの靴を割ってから相手に向けるって完全にヤンキーの喧嘩のやつじゃん…ちょっとイメージ崩しすぎでは?って思っちゃった。

何人か頭ゆるそうだな…とかも思ったけど、部屋着の頃になるともう慣れましたね。部屋着のデザインもけっこう攻めててもはや笑えてきちゃった。エルサと白雪が特に。
クラシック作品の子とかはCGにして違和感ないのか心配だったけど意外とみんな馴染んでましたね。ムーラン可愛かったしスカジャンも似合ってた。

でもメリダのこと「変な子」「一人だけスタジオ違うから」みたいなのは嫌だった。ああいうことはプリンセスにはしてほしくないな…


ヴァネロペの気持ちを知ってからのラルフの醜いこと醜いこと。もはやヴィランじゃん。
まぁ今回は明確に悪者がいるわけじゃないから「ラルフの未熟さ」がヴィランの役割を果たしているんだろうけど(アーサーはいるけど、それもラルフが望まなきゃ出てこなかったわけだし)
でも主人公をこんな嫌な役にしちゃうのか?

ラルフ、前作も自分の欲求を満たすために周りをめちゃくちゃにしたのに今回も同じことするの?って思っちゃった。
前回お前は何を学んだんだ…

しかも今回は原動力が「ヴァネロペへの執着」だから、作中では「しつこい」って表現してるけどはっきり言うと気持ち悪いよね…話の通じないストーカーみたい。
おまけに二人のデザインが「大男と幼女」なのがめちゃくちゃマイナスに作用してる。

ラルフクローンが初めてヴァネロペの前に現れたときなんてもはやホラーだよ。


ヴァネロペのミュージカルシーン。
ミュージカルは好きなのでこれは悪くなかったです。
完全にシャンクが王子様ポジでラルフ…ってなった。悪役だもんね…


サブキャラが弱いなぁ。
特にダブル・ダンとゴード。ダブル・ダンはトラブル解決の鍵を握ってるわけでもなくて、あれで終わり?都合よく出てきたなぁ、という印象。
「お前がバカにならなければ誰も傷付かない」は大事な台詞だけど、ダブル・ダンに言われても…という感じ。
ゴードに至っては存在理由がよくわからない。いなくても話進むよね。

スパムリーはスローターレースへの誘導役としては良かったけど、最後にラルフを助けに来るのは「そこまでの仲かな…?」と思ってしまった。

ノウズモアはキャラも立ってたしラルフウイルスの解決策も示してくれたのでそれなりかなぁ。

エスはいなきゃいないで困る役ではあるんだけど、その割にはちょっと影薄い…


ヴァネロペの決断を受け入れ、それぞれの暮らしを始める二人。ここまできてやっとラルフの株がまともに上がりました。もう数分しかないよ。

ネットの意見を見ていたらヴァネロペの決断を「無責任だ」っていう人と「これは前進の物語なんだからこれでいい」って人に分かれてるなぁと思いました。

実際この「シュガー・ラッシュ:オンライン」は「新しい環境への旅立ち」とか「依存からの卒業」とか「離れてても繋がる友情」とかそういうことをテーマにしてるんですよね。
だから「シュガー・ラッシュ:オンラインの結末」としてはこれが正しいと思います。

ヴァネロペがシュガーラッシュに帰ってきてまたラルフと「変わらない毎日」を送ったら、この映画で書きたかったテーマと矛盾してしまいますから。

でも前作「シュガー・ラッシュ」のテーマから考えたらヴァネロペが無責任だ、っていう人の気持ちもわかるんですよ。

前作ラストでラルフはようやく自分を受け入れてくれた仲間(ヴァネロペ)からの「ここで一緒に暮らそうよ」って誘いを「自分には果たす役割がある」って断ったんですよ。
ゲームに戻ればラルフはまた悪役、けどラルフがいないとゲームが成り立たないから。
ゲームの外には自分を受け入れてくれるヴァネロペがいる。だからゲームのためを思ってラルフは悪役を続けることにしたんです。

対してヴァネロペは「自分は数いるレーサーの一人」と言いましたが彼女は人気キャラクターかつあの世界のプリンセスです。替えのきくモブキャラではない。
そんな彼女がいなくなった後のゲームのことを顧みないのは無責任だ、と思うのは前作を観ていればこそなのでは。

要するに、そもそものテーマ付けを失敗してしまった気がするんですよね。
シリーズ2作で矛盾する結果を生んでしまった。
この「シュガー・ラッシュ:オンライン」で描いたテーマは、別作品で描くべきだったのかもしれません。


シュガー・ラッシュは2作とも嫌いじゃないけど好き!とも言いづらい。
多分、主人公格のこの2人を好きになりきれないからだろうなと思う。

私は前作でもラルフ&ヴァネロペよりフェリックス&軍曹のペアが好きだったので今作は出番が少なくて残念…
ピクサー作品のようにショートムービーで二人のスピンオフとかやってくれたらいいのになぁと思っています。
今回のシャンク&イエスが友達になった経緯なんかも楽しそう。

あと今作はディズニープリンセスを始め、単純にキャラクターいっぱい出せばいいか!みたいな悪い意味でのお祭り作品感がありました。

序盤に述べたように、劇場公開の続編作品でなくスピンオフとかOVAみたいな形ならこんなにモヤモヤしなかったかなぁと思います。

ディズニー ノートルダムの鐘

吹き替えキャストの歌唱力がみんな半端なくて、最初のクロパンの歌からまるで生の舞台を観ているかのような迫力。
ただ吹き替えは字幕に比べてだいぶマイルドな表現をされている(話自体がかなりヘビーなので私は字幕の重い表現が好み)ので日本語字幕を出しながら吹き替えで観るという鑑賞方法を取っています。

幼少期に観たときは途中で飽きてしまった記憶があるんだけど、内容考えたらそりゃそうだ…

▼カジモド
主人公ではあるもののキラキラしたヒーローではない。
その生い立ちから自己肯定感が低く、かつ外の世界や一般の人たちの生活を見ているゆえに嫉妬心もある。外に出たいと願いつつもいざ塔から出たときや出ることを迫られるといつも「駄目だ」「早く戻らなければ」と口にする。

▼フロロー
しょっぱなから悪役臭はまったく隠せていないのだけど、世間的な立場もあるし彼の暴虐はすべて正義の名のもとに行われている。
フロローに悪印象を持ってもその「嫌な感じ」の正体を理解するのは子供には難しいのではないのでしょうか。

個人的にディズニーヴィランズの中でもけっこう異質なキャラだなと思います。
自分が悪であるという自覚がそれなりにあるスカーやファシリエとかと違って、フロローは自分を「善」だと本気で思ってるんですよね。

精神的に追い詰めてくる「人間の怖さ」を体現しているのに善悪の判断が極端すぎて、作中の人物の中ではある意味で一番「人間らしくない」と思います。

▼フィーバス
大人になってから観たら魅力がわかったキャラ。
中盤からの彼は紛れもなく善人、味方ですが最初は「権力に逆らいきれない、ちょっと食えないやつ」という印象。

主人公(カジモド)からみれば協力こそしますがこいつは「エスメラルダといい仲になりそうなところに現れた恋敵」です。
主人公に感情移入しやすい子供からしたら「ヒロインと最終的にくっつくキャラ」のポジではない。「なんで!?助けたのカジモドじゃん!」となっても仕方ない。

でもフィーバスは最初から兵士やフロローには嫌悪感を示していたし、ペンダントの暗号についてカジモドと意見が分かれたときも争ってる場合ではない、と折れる。
彼の人との付き合い方はカジモドと比べてとても大人なんですよ。大人だから当然だけど。

カジモドがそういった点で幼いのは人との交流経験がないので仕方ないのですが、エスメラルダにとってカジモドは「友達」でフィーバスは「恋人」だったのはそこの違いが決定的だったんじゃないのかなぁ…
そう思うとやっぱりカジモド自身にはどうしようもないハンデが多すぎるよ…人間としての経験値が足りなすぎるよね…


エスメラルダ
ヒロインですがやってることはヒーローです。
登場シーンで早くも兵士を蹴り飛ばし、広場で晒しものにされるカジモドを助けてフロローを巻き込んだ大立ち回りを演じ、川に落ちた隊長も助ける。

見た目の美しさはもちろん、快活で権力に屈することなく自分に正直な彼女は作中で3人の男に惚れられることになりますが、男女問わず魅力的に映る人間でしょう。

「ジプシー」という存在についての具体的な説明が作中ではされないので、正義感あふれる行動をする彼女がなぜフロローに狙われるのかがわかりづらいのも子供時代には楽しめなかった理由かもしれません。


ガーゴイルたち
彼らについてはコメディ感が不要だと言う人もいるみたいですが、彼らがいなかったら重すぎてディズニー映画として成立しなかったのでは…と私は思います。

あと、彼らと話せるのはカジモドだけで周囲の人にはただの石像にしか写らないんですよね。
こういうと夢がないんですけど「実際に彼らはただの石像であり、動いたり話したりするのはカジモドの想像上のことである」と私は思っています。いわゆるイマジナリーフレンドっていうやつでしょうか。
「(空想上の)友人という形をとり、カジモドの本心を代弁すること」が彼らの役割です。

例えば祭りに参加すればいい、とカジモドに薦めるシーン。
「祭りに行きたい」「許されないことだ」「少しならバレない」という胸中での葛藤を、ガーゴイルとの対話という形でカジモドは行っています。

「祭りに行きたい」と思うこと自体をカジモドは悪だと信じ込んでいます。
そのため「行けばいい、バレなければ大丈夫」というのは「自身の発言、思想ではない(自分は反対したが、他者は賛成している)」と思い込むことで罪悪感を減らしたり自分を後押ししているのでは。

エスメラルダがカジモドに恋をしている、というシーンもそうです。
カジモドには「エスメラルダが自分に惚れたのでは?」という気持ちと「そんなわけがない、こんな醜い自分に」という気持ちが共存しています。
自分に自信がないカジモドですが、それでも認められたい気持ちはあるのでガーゴイルを通して自分で自分を肯定しているんですね。

この2つの葛藤は、一生を塔で孤独に過ごすのだと諦めていたカジモドが外の世界への期待を持ち始めたことを示しているのでは、と思います。

「外に出ようか、いや駄目だ」「あの子が僕を好き?そんなまさか」みたいなでもでもだってをカジモドが普通にやっていても絵的にも映えないし見てる側だって面白くないですから。

個人的には祭り見物に気が乗らないカジモドへかけられた「あの子は石じゃない」という言葉が刺さりました。
カジモドから自分自身に向けた「僕は塔の装飾のガーゴイル(塔から離れられない存在)ではない」という意味だと思います。


▼パリの暗黒期
パリへ帰還したフィーバスにフロローがかけた言葉。
フロローは主にジプシーたちが原因であるかのように言っていましたが、広場でのカジモドへの仕打ちをみると民衆全体の倫理観に問題があるように見えましたね。
まぁ魔女狩りだの処刑は娯楽だのフランス史には民衆の残虐さを感じさせる点はたくさんあるので仕方ないのかもしれませんが…

▼炎を見つめるフロロー

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おそらくこの作品でもっとも恐ろしいのがこのエスメラルダの幻影に翻弄されるシーンとフロローのラストかと思います。(こじらせた童貞とか言ってはいけない)
フロローは別に屈強な男性や獰猛な獣ではないですが、エスメラルダに対しての執着が怖いんですよね。

ジプシー嫌いの自分がエスメラルダに惹かれているのはエスメラルダが魔術で惑わしているせいだと信じ込む。そして自分のものにならないのならば殺した方がいいという執着心、独占欲。
上でフロローを人間らしくないと書きましたが、皮肉にも彼がもっとも憎んでいた「悪」に染まり切ったこのときが彼が一番人間らしいシーンでした。

そしてフロローは神の存在を恐れながらも最終的にはその神へ祈る場である聖堂にすら火を放ち、自身を監視するガーゴイルを抱いて最期を迎えるんですね。

フロローの狂信的な正義感にしろ神の裁きにしろ「物理的には見えないが感じる圧」に対する恐怖を描くのは他ディズニー作品ではあまり見られないなと思います。



▼エンディング
原作はまったく救いがないらしいですがこれはディズニー映画なのでエスメラルダもカジモドも助かります。
ただしエスメラルダと結ばれるのはフィーバス。
これは主人公がヒロインとくっつかないのがディズニー映画らしくないとよく言われてますね。

でもこれでよかったんじゃないか。
作中、エスメラルダはフィーバスとはそれっぽい空気になっていましたがカジモドに対してはあくまでも「親愛」だったと思います。
それが最後にいきなりカジモドとくっついたら変ですよね。フィーバスとのあれはなんだったの!?ってなる。
あと塔から出れた!エスメラルダともくっついた!街の人からも受け入れられた!だとあまりにもシンデレラストーリーすぎてカジモドがプリンセスになってしまう。

あわや転落死するところだったカジモドとそれをキャッチしたフィーバスが抱き合った時点でもう二人は友達なんですよ。
カジモドはエスメラルダとフィーバスという友人を得たわけです。エスメラルダとカジモドがくっついてたら多分フィーバスと友達にはなれないと思う。

民衆に受け入れてもらえたんだから、カジモドにも今後すてきな出会いがある可能性もある、くらいでいいんじゃないですかね。

くまのプーさん 2011

プリンセスと魔法のキス」に続くディズニーの手描きアニメーション復活作その2。
この作品以降、ディズニーは手描きアニメーションから再び離れフルCG作品へ移行します。

あまり興行収入は伸びなかったらしく。
私自身は手描きアニメーションが好きな贔屓目もあってこの作品はいいところがたくさんあると思うんですが、同時に「くまのプーさん」としてヒットを得られなかった理由もなんとなくわかるような気も。



くまのプーさんといえば以前記事を上げた「くまのプーさん 完全保存版」の方が有名ですよね。ディズニーランドの人気アトラクションもこの作品をテーマにしていますし。

「完全保存版」は短編3本を集めたオムニバス形式なのに対し、この「2011」は1本のストーリーになっています。

日本ではテレビシリーズやキャラクターグッズとしての展開が主なため「くまのプーさんは短編」というイメージが強い人が多いのではないでしょうか。
更にいうと基本的にスローな100エーカーの森での一つの出来事を約60分追うのは少し退屈に感じる人もいるかもしれないなと思いました。

そしてキャラクターデザインが完全版より少し尖っていたのはけっこう大きいのでは。

特にクリストファーロビンはそれまでの作品に比べてかなり大きめなクリクリした目が特徴的です。私も初見では驚きました。出番は少ないし中身はいつものクリストファーロビンなんですけどね。
塗りもだいぶハッキリした彩色でパキッとした印象。ふんわりとしたプーさんが好きな人は少し抵抗があるかもしれません。

あと個人的には「一瞬の表情」の描写がかなり多かったのが気になりました。

グッズやテレビシリーズのプーさんたちは基本的に優しい笑顔やとぼけた表情なのですが、映画では瞬きの瞬間の少し伏し目がちなところ、半目など言ってしまうと「ちょいブス」みたいな表情がしっかり描写されています。(完全保存版の記事画像を参照)

「完全保存版」では「今ちょっとブスだった?笑」くらいの頻度だったのが「2011」では圧倒的にブス顔が増えているんですよね笑。

あの若干煽ってるような表情も好きなんですがちょっと多すぎる&少し意地悪そうに見えるときもあったのが少し残念でした。
手描きで表情の変化を滑らかに表現する技術自体はとても素晴らしいのですが。

グッズのプーさんを見慣れている人は「なんか可愛くない…」と思うかもしれません。



ここまで難点をあげてきましたが、いいところもたくさんあります!


①お馴染みの、絵本の中という設定を活かした演出がかなりパワーアップ!

アルファベットにぶら下がるのは当たり前。文字の中にかくれてみたり、イーヨーのしっぽに引っかかった文章が引きずられて物語があっという間に進んでしまったり、果ては文字を利用してピンチを切り抜けたり。かなり楽しい演出です。

この演出が好きな人はぜひスタッフロールも最後まで見ることをオススメします。キャラクターたちが全力で遊び回っていますよ。



②イーヨーがとにかくかわいい!

イーヨーのしっぽがなくなってしまい、誰が一番素敵な新しいしっぽを見つけられるかコンテストが始まります。
優勝を逃したプーはクリストファーロビンを訪ねますがそこには置き手紙が。その手紙をきっかけに騒動が起こります。

しっぽがなくなるという冒頭からついてないのに、コンテストではヘンテコなしっぽばかりつけられるし、その後はクリストファーロビンを攫った謎の怪物「スグモドル」を捕まえようと張り切るティガーに振り回されるし…とにかく不憫なイーヨー。

でもこんなにアクティブなイーヨーは珍しく、ティガーに肩車されて二人で飛び跳ねるシーンも(イーヨーは不本意ですが)。最初から最後までだるーんとしたイーヨーの柔らかそうな造型を堪能できます。

ちなみにスタッフロールでは歩くのが遅いイーヨーのためにティガーがせり上がってくるスタッフロールを押さえてくれます。まぁ実に二人らしい結末になってしまうのですが。


③チョーク画風のデフォルメ
オウルが「スグモドル」の説明をするミュージカルシーンです。
黒板にチョークで絵を描いているという設定ですが、ここのデフォルメキャラがとにかくかわいい。
このデザインでグッズ売ってくれたら買います(もしかして公開当時はあったのでしょうか?グッズ関連は詳しくないのでわからないのですが)。


④「完全保存版」の更にその上をいくハチミツへの執着

完全保存版にはプーさんが「ズオウとヒイタチ」の夢を見るというかなりサイケデリックなシーンがありましたが「2011」ではそのサイケデリックさを「プーさんのハチミツ愛」に全振り。

序盤からプーはお腹を空かせてハチミツを求めているんですがなんやかんやあってエンディングまでハチミツにはありつけません。

空腹を訴えるプーのお腹は生き物であるかのように動き回り、限界に達したプーはカエルや仲間たち、周りすべてがハチミツに見え始め聞こえる言葉もすべて「ハチミツ」に。

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ハチミツ、ハチミツと繰り返しながらハチミツの海を泳ぎます。すべてがハチミツで出来た世界でハチミツを食べるプーでしたが、現実は泥水の中…

かなしそうな顔で「ひとくちだけ、ひとなめだけでも…」とオウルに縋るシーンはハチミツがドラッグの隠語にしか見えない。
 


最終的には「スグモドル」の正体とクリストファーロビンの行方がわかり、イーヨーのしっぽも無事に戻ります。
イーヨーのしっぽを戻した功績を讃えられたプーさんがコンテストの優勝者。巨大なハチミツを贈られたプーは壺に飛び込み、今度こそハチミツの海をお腹いっぱい味わいます。


いいところも悪いところも挙げましたが私はこの作品は充分「くまのプーさん」だと思いますし、この作品を最後にディズニーの手描きアニメーションが公開されなくなっていったことも残念に思います。

アニメーションとして動きに見劣りする点はありませんし、むしろかなり動いてるんですよね…手描きアニメーションはディズニーの財産として誇るべきものだと思います。

長編ではリスクが大きく難しいかもしれませんが、またディズニーの手描きアニメーションが評価される作品が生まれればいいな。

 

イーヨーのしっぽもスグモドルもオウルが発端では…?とか言ってはいけない













 

ディズニー ピーターパン

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ディズニー作品でもかなり有名な部類に入るであろう今作。
私も大好きで小さな頃から繰り返し観てきました。
小さな頃からプリンセスのラブストーリーよりもピーターパンやアリスみたいな冒険譚の方を好んで観ていたんですよね。

インディアンの表現などが批判の対象にもなりがちですが名作と呼ぶにふさわしい作品だと思います。

ただし、大人になってから観ると冒頭の画像と同じことを思う人も少なくないのでは。




ピーターパンは「幼稚さ」の描写が本当にすごいです。

冒頭から犬のナナがどんなに片付けても積み木は崩れベッドはめちゃくちゃに。小さな子を持つ親たちはこの気持ちが痛いほどわかるのでは。
(このナナが本当に優秀だし可愛い。ヘッドドレスをつけてひたむきに仕事をする姿がたまらない)

ウェンディに嫉妬して意地悪するティンクや人魚たちはいかにも、ですよね。けっこう陰湿かつ悪質なのに、咎められれば「からかっただけです〜」って。いじめっこのテンプレのようです。


フック船長はじめ海賊やインディアンたちは外見こそ大人ですが、内面も大人…とは言いがたい。

フックは悪知恵は働きますがピーターパンに固執し船員たちの航海に出たいという希望を無視し部下を平気で海に投げ落としたりするジャイアン的リーダーですし、インディアンもロストボーイたちの言い分を聞かず「娘が帰ってこなければ火炙り」という極端な思考です。

あの世界は精神的にみんな幼いんですね。
彼らがネバーランドという子供の国の住人だというなによりの証ですが。


そしてピーターパン。
彼は一見ヒーローですが、自分より幼いロストボーイたちを従え命令に背けば追放、遊び半分でワニにフックを襲わせるなどやっていることはガキ大将と大差ありません。
フックはアニメゆえの超人的なアクションでワニから命からがら逃げていますが、実際には遊びでは済まないですよね。
ピーターパンの行動は例えるなら「遊び半分で友達を高所から突き落としたら死んでしまった」みたいな事故を起こしかねない、子供特有の好奇心とおふざけです。



そんな彼に憧れていたウェンディたちはネバーランドへとやってきました。
「ピーターパン」というタイトルですが、この作品はウェンディが大人へと成長する過程を描いた物語なんですよね。

憧れのネバーランドにやってきたウェンディですが、初っ端からティンクの作戦で撃ち落とされそうになるし人魚には海に引きずり込まれそうになります。
ピーターパンはといえばティンクをいきなり永久追放しようとするし人魚からも助けてくれるどころかいじめられるウェンディをみて笑ってるんですよ。この時点でウェンディはネバーランドとピーターパンに少しガッカリしてしまいます。

人魚の入り江からドクロ岩へ移動する際、ウェンディの飛び方は少しぎこちないです。
これは「飛ぶためには楽しいことを考える」必要があるのに直前まで嫌な思いをしていたこととタイガーリリーの誘拐という不穏な気配を感じていたことに加え、ピーターパンとネバーランドの「幼稚さ」を否定し始めている(ウェンディの中で「大人」が目覚め始めている)ことが原因ではないでしょうか。

また、ドクロ岩でフックと戦う際、ウェンディは「だめよ」とピーターパンを静止する言葉をかけています。
これも幼さ故に倫理観が欠けているピーターパンとウェンディの間に溝が生まれ始めているのでしょう。


タイガーリリーを救出したウェンディとピーターパンはインディアンの村で祭りに参加します。そこでウェンディはまたしても嫌な思いをしてしまうんですね。
楽しく踊っていたところ「女は薪を運べ」と踊ることを止められてしまいます。

ピーターパンも弟たちもロストボーイたちも祭りに夢中で誰も庇ってくれないどころか、一緒になってウェンディを召使い扱いする始末(この女性に対する描写も現在は問題になるのでしょう)
おまけにピーターパンはタイガーリリーにデレデレでウェンディは一人隠れ家に帰ります。
(ティンク、人魚、ウェンディ、タイガーリリーとピーターパンの周りには次々と女の子が現れ火花を散らします。昼ドラか)



そして男たちが隠れ家へ戻ってきたあと、決定的なことが。

ウェンディは家へ帰ろうと説得しますがネバーランドが楽しい弟たちは嫌がります。母親の話をすると下の弟マイケルが「お母さんってなんだっけ」と…。
これかなり怖いですよね。ロストボーイたちもこうして母親を忘れていったのでしょうか。

「楽しいことに夢中になって大切なものをなくしてしまう」という状況は「ピノキオ」のプレジャーアイランドを思わせます。怖い。

ウェンディはロストボーイたちに母親について教え、子守唄を歌います。このとき、ウェンディはすっかり大人になってしまいました。
ロストボーイたちは優しく諭すウェンディに母親の姿をみたのです。

子供部屋から卒業することを言いつけられ「大人になりたくない」と言っていたウェンディ。
大人になることがないネバーランドに来て「子供」の嫌な面に気付いたんですね。
皮肉なことに、憧れていたピーターパンとネバーランドがウェンディを大人に成長させました。

母親を思い出し、家に帰りたいと言い出したロストボーイたち。それに対してピーターパンは「勝手にしろ」とすねてしまいました。流石は生粋のネバーランドの住人。まさに子供。

大人になったウェンディと、大人になることのないピーターパンはここで完全に住む世界が別れてしまいます。


その後はフックに捕まったりピーターパンが爆発に巻き込まれたりティンクとピーターパンが仲直りした末にウェンディたちは家へ帰りエンディングを迎えます。

最初フックを見た時には不安そうな顔をしていたウェンディですが、ピーターパンとの決別後に捕まった際には毅然とした態度で刃向かい海へ飛び込むことを選んでいますね。
これもウェンディが大人になった証でしょう。

フックから奪った船でロンドンへ向かう際、ピーターパンがウェンディを「ご婦人」と呼んだのは少し寂しくもありました。



ピーターパンのことをボロクソに言ってしまったのですが、冒頭に述べたとおり私はこの作品が大好きです。
大人になってしまった今、彼を手放しで肯定することはできませんしするべきではないと思います。でもそれでいいんです。彼は「子供の」ヒーローなのですから。


演出面ではジョンの傘の使い方ですね。
落下の勢いを和らげたり盾のように使ったり、背の高い草をかき分けたり。
傘一本を何通りにも使う発想の豊かさが子供らしく素晴らしいです。


冒頭に出てくる二つの星、右側の大きな星がネバーランドですが「プリンセスと魔法のキス」を視聴後には左の小さな星に目がいくかもしれません。



差別的だとか女性蔑視だとかの批判はナンセンスだと感じます。
昔のディズニー作品の多くに言えることですが、差別によって苦しむ人たちがいることを無視してはいけませんが、これらのシーンは彼らを永遠に貶めようと組み込まれたわけではないと思うのです。

製作当時のそういった描写をすべて削除することが差別の撤廃や解消に繋がるのでしょうか。
臭い物に蓋をするのではなく、それが当たり前だった時代があるということを知るべきだと思うのです。
知った上で「なぜいけないことなのか」を考え、気付くことこそ必要なのではないでしょうか。

こういった点については日本人には感覚的にわかりづらいのもありますし自身も詳しくないのでこれ以上の発言は避けますが、私は出来れば編集などは行わず当時の作品をそのまま観たいと思っています。

ディズニー リロ・アンド・スティッチ

実は初見です。
公開当時、スティッチのビジュアルの凶暴さがどうしてもディズニーらしくない…と受け入れられなくて観ないままズルズルここまで来た。

観てみたらスティッチはけっこう可愛かったですね!
優しさに目覚めるきっかけはちょっと弱かったかなと思うけど、少しずつ破壊以外の楽しいことを知っていくスティッチはよい。

島に初墜落したときにはカエルに銃を向けていたのに、終盤の墜落時にはカエルを庇っていてスティッチの変化がよくわかる。



リロ&スティッチというタイトルだけど私の年齢のせいなのかとにかくナニに感情移入してしまってナニが主人公のように始終感じていました。

ナニめちゃくちゃ頑張ってるよ…仕事に家事、幼い妹はトラブルメーカー。そりゃ怒鳴ったりしちゃうしうまくいかないよ…
親を亡くして同時に自分と妹の生活全ての責任がのしかかるってどんなにキツイだろう。

海外は日本よりも小さい子に対する扱いが慎重なこと(一人で留守番や車内に置き去りは法で罰されるところもあるそう。日本ではまだまだなベビーシッターやナニーの需要も納得)も考えればナニの状況はそうとう厳しいもののはず。

デイヴィッドの誘いを、ちらっとリロをみて断るシーンはなんとも言えない気持ちになります。
ナニだってまだ気軽に遊んだりしたい歳だよね。

ナニをそんな風に感じてしまったせいか、申し訳ないけどリロが可愛いと思えませんでした。

リロにも親を亡くしたのをきっかけに情緒不安定であるという背景はあるんだけど、ダンスのレッスンは遅刻するわナニとの約束は破るわ…ダンスの先生めっちゃ優しかったな。
福祉局に認められなければ離れ離れになってしまうことはリロにも説明済だと思われる雰囲気でしたが、肝心のリロは不利になるような言動ばかりで正直序盤はクソガキとしか思えなかった。

後半は少しマシになったと思いましたが、正体を見せたスティッチを「あっちいって」と突き放したのは衝撃でした。
スティッチは孤独の辛さを知り、その孤独を癒やしてくれたリロを守ろうとしていたのに、リロ…

実は見る前はリロが親を亡くしていることすら知らず「凶暴なモンスターが無邪気な幼女と過ごすことで変化していく物語」だと思っていたのでリロがスティッチを拒絶したことにビックリ。

スティッチもだいぶリロに意地悪していたし、リロはリロで死を願ったり友達を呪おうとしたり私の想像よりだいぶ荒んでいたんですね。



デイヴィッドがスティッチに「二人は一緒に暮らせるはずだった、お前がこなければ」と言うシーンがありましたが、コブラさんの初訪問時からすでに評価は絶望的だったしリロの行動にも原因が多々あったので流石にそれはスティッチかわいそうでは…と。

でも全編通してデイヴィッドはいい男でしたね。
いつだってナニの支えになろうとしてたしそれをわかりやすく示してくれた。



今回のヴィランはジャンバ&プリークリーがメイン、そしてその二人の上に議長とガントゥ。見方によってはコブラさんもヴィランと言えなくもないシーンがあったかもしれません。

でも最終的にはみんなヴィランじゃなくなるという多作品のディズニーヴィランたちとは少し変わったエンディングでしたね。悪者を倒すんじゃなくて和解。

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まるで家族みたいな微笑ましさ。


個人的にはジャンバ&プリークリーが味方になったのがワクワク展開でした。ジャンバ&プリークリーは最終的に地球で楽しくやってたけどガントゥさんはそれもなくただクビになってしまったのだろうか…ちょっとかわいそう…

エンディングでジャンバが明らかにオーバーテクノロジーなオモチャをリロに与えていたのが印象的です。
ジャンバ、憎めないタイプのちょいワルオジさんみたいだな。
プリークリーの女装がめちゃくちゃ可愛かったし本人もハマりそうなのでぜひ続けてほしい。ハワイ料理店の帽子スタイル可愛すぎでは?

あと議長とコブラさんの関係性がめちゃくちゃいいですね!
議長は実は全然悪じゃないんだよなぁ。スティッチの変化を認めて刑罰を利用して地球に残すというイカした対応してくれるしめちゃくちゃ出来る人(エイリアン)。議長めっちゃ好き。エンディングに視察にくる議長も入れてほしかった。コブラさんはめっちゃ出てたのに。普通に家族行事に混ざってたのに。


リロ・アンド・スティッチ、思っていたよりずっと良作でした。食わず嫌いは良くないね。

ディズニー ベイマックス

劇場公開時に吹き替えで観たので今回は字幕で再視聴。
原題と違う&邦題はちょっとダサいのはディズニーピクサーあるあるだけどベイマックスは原作の「Big Hero 6」とはベイマックスの設定からストーリーまでだいぶ違うらしいのでこのタイトルでよかったのかもしれない。



私は「決まった時間までに何かをする、どこかへ行く」というのがとにかく嫌いで避けられるものならなるべく避ける人間です。

私生活が立て込んでいて時間に縛られる日々が続いていた時期、自由な休みの日にまで時計を気にしたくない!と言っていた私が唯一映画館に足を運んだのがこの「ベイマックス」でした。

ただ「ベイマックスがかわいい」それだけの理由で。



かっこいいヒーローのベイマックスもいいですが、ヒロに武装を施される前のケアロボットベイマックスがとにかくかわいい。

大きな体で小さなマイクロボットを大事そうに抱えてテコテコ街を歩く姿がイチオシです。


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そしてこのシーンの「何かが始まる」感、たまらない。


このシーンを迎える前に、ヒロは一度「始まって」います。

違法なロボットファイトで荒稼ぎをすることに自身の頭脳を使っていたヒロは、大学での出会いに刺激を受けます。大学入学を賭けた研究発表会のために真面目にロボットと向き合い、それが認められる。

きちんとストーリーとして出来上がっています。
大学合格はまぎれもなく、今まで腐っていたヒロが優秀な研究者になる「始まり」だったはず。

ですがこのベイマックスの起動シーンの「始まり」感は圧倒的。大学入学資格を得たときとは違います。

タダシの研究室で起動したときには単なる「タダシの発明」だったベイマックスと、ヒロはこのシーンでようやく「出会った」のでしょう。



マイクロボットを悪用した犯人がタダシの死に関わっている、という考えにヒロが行き着いてから話はバトル寄りの方向へ。

ベイマックスの改造を通してヒロは友情や発明の楽しさを知っていきます。


仲間たちの中では女子の強さが目立ちますが、ハニーレモンのスーツを着るとちょっとハジケすぎちゃう感がオタクっぽくて実にいいと思います。

ゴーゴーに関してはスーツ着用後が物足りないほど前半のカーチェイスが熱すぎて大好きですね。
ヒロが道を誤ったときにハグして言葉をかけたのが普段は口数の少ない彼女だったことで、ぶっきらぼうだけど誰より仲間思いの優しい人物だということが表れていました。「親友のタダシのため」というのも彼女のセリフでしたね。



今回の悪役クレイとキャラハン、公式では今回のヴィランはキャラハンらしいけど個人的にはクレイの方がタチが悪いなぁと思っています。
クレイが雑な実験しなければキャラハンは闇落ちせず結果的にタダシも死ななかったのでは…とか。

ただキャラハンは他人の研究を盗むという研究者失格のことをしでかしているので、研究者という観点からみれば正直に金で買おうとしたクレイの方がマシかもしれない。素直に引き下がってるし。


終盤の装置内でヒロを庇ったことで装甲が壊れ、ベイマックスと別れなければいけなくなるシーン。

ヒロはまだ14歳なのに、しかも多分まだタダシの死からそこまで月日も経ってないのにまたこんな別れはつらすぎる…
他の誰でもなく、絶対にベイマックスが犠牲にならないと脱出できないのがやるせない。


事件後、大学生活を送り始めたヒロは唯一手元に残ったベイマックスロケットパンチにタダシが作った医療データカードが握られているのを発見。ベイマックスの復活に成功します。

この医療データカードですが、ヒロがキャラハンを殺そうとした後ベイマックスは頑なにカードスロットを開けようとしなかったんですよね。「殺せば楽になるのですか?」と言って。

その後ヒロを見ていたベイマックスはもうヒロは道を誤らないと、今後自身を復活させたとしても人を傷付けることはしないと信じたから医療データカードを遺したのでしょう。



吹き替えのベイマックスの「あぁ〜っと」や「バララララララ〜」が好きだったので英語ベイマックスがあんまりかわいくなかったら、と心配でしたがベイマックスは英語でもかわいかったので一安心。

全体的に吹き替えの方がお行儀がいい感じ。敬語とか入ってくるせいかな、吹き替えあるあるですね。

ディズニー作品はディズニー+やDVDで視聴すると昔みていたVHSと声優さんが違っていたり新訳や新録されていたりで違和感がすごいので基本的に字幕で見るのですが、ベイマックスは新しい作品なのとくまちゃんグミとかかわいい訳も多いので吹き替えも楽しめます。

くまのプーさん 完全保存版

みんな大好きくまのプーさん。これをみるだけでもプーさんのハチミツ狂具合がわかる一本。

幼少期に家にあったくまのプーさんのVHSはこの作品ではなかったため個人的にはそんなに「これぞ元祖くまのプーさん!」というわけではないのですが、シリーズにおける各キャラクターの動きなんかはこの作品が基本になっているので(ティガーは特にわかりやすいですね)やっぱり第一作目なんだなぁという感じ。

この作品は一本の長い話ではなく、3編の話をまとめたオムニバスになっています。



▼プーさんとハチミツ

ハチミツを食べすぎたプーさんがラビットの家の玄関に詰まってしまう話。けっこう有名な話だし穴に詰まったプーさんの絵を見たことがある人も多いのでは。

プーさんはこの話からさっそく「ハチはハチミツを作るためにいる、ハチミツは僕のためにある」というジャイアンもびっくりなパワーワードを残しています。

最終的にプーさんは高い木の上にあるハチの巣穴に詰まってハチミツ食べ放題という楽園に辿り着くわけですが多分また詰まる。



▼プーさんとおおあらし

ディズニーランドのアトラクション「プーさんのハニーハント」でおなじみ「ズオウとヒイタチ」の登場回です。ティガーとプーさんの初対面回でもある。

嵐の夜にいきなり初対面の人(クマ)の家に飛び込み騒ぐだけ騒いで出ていった新入りティガーですが、ちゃっかりカンガやオウルと一緒にクリストファーロビンに保護されています。適応力がカンストしてる。

ズオウとヒイタチのパートはなかなかサイケな感じな上にけっこう長いのでヘタしたらトラウマになる子供もいそうです(プーさんの悪夢という設定なので演出としては成功?)

ディズニーのトラウマといえばダンボのピンクの象が有名ですが、昔のディズニーでは象にどんなイメージを持っていたんでしょうか。

ハチミツの壺に頭を突っ込んだまま犬神家のような状態で流されていくプーさんがシュールで好きです。



▼プーさんとティガー

飛び跳ねることが好きなティガーに日々迷惑をかけられているラビットがティガーを反省させたい話。

ラビットは作戦会議にプーさんとピグレットを呼びますがピグレットはともかくプーさんを呼ぶのは確実に人選ミスだと思うのですが…プーさんも圧倒的に迷惑をかけてる側だよ。

ティガーに迷惑をかけられているという意識がないプーさんは作戦会議に全く興味がなく爆睡している上、ラビットに意見を求められたときの反応が

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これです。煽りスキル高すぎる。
ここが100エーカーの森というラブアンドピースな場所じゃなかったら殴り合いになってるよ。

ラビットは再度説明を試みてどこから話せばいい?と聞きますが「綿毛の入ったところから」「どこ?」「わかんない、聞こえなかったからね」という完全敗北。泣いていい。

ちなみに霧の深い場所にティガーを置き去りにするというけっこうエグい作戦が実行されたのですがティガーでなくラビットが迷子になるし、その後なんやかんやでティガーはラビットにジャンプ禁止を言い渡されますが周囲に説得され即撤回という…ラビットが報われない。



エピローグではクリストファーロビンは学校へ行かなければならない、ということが語られます。

学校へ行くと「何もしない」ができなくなる、というクリストファーロビン。その歳で大学生のモラトリアムみたいなこと言い出すのはちょっと心配。

やるべきことやしがらみに縛られず気ままに自由でいることがきっと「何もしない」なんだろうな。
学校に行く、つまり社会に出れば「何もしない」ではいられないんだとクリストファーロビンはわかっています。

これからもこの森で「何もしない」を続けるプーに「僕のこと、忘れないで」って言うクリストファーロビンにはちょっとウルッとしますね。



もしかしたらかわいいキャラクターとしての「くまのプーさん」しか知らない人にはプーさんの言動はなかなかに衝撃かもしれない。

でもあの世界には悪意がない。ケンカしてもすぐに仲直りするし、疑ったり疑われたりもない。
オウルの長話を正面からけむたがる人はいないし、イーヨーの卑屈な性格も否定されません。

時間がゆっくり流れていく、とても優しい世界です。だから現実ではイラッとするようなことでもなんだか笑えてしまうのかも。

難しいことは考えず、ただぼんやりゆっくりしたいときにはぜひプーさんを。

個人的にはゴーファが穴に落ちて「ア"ア"ーッ」ってなる天丼ギャグが地味に好きです。