ディズニー映画感想

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ディズニー ピーターパン

大人になることを拒否する子供たちが主役の話ですが「大人」代表である父ジョージ・ダーリングと犬のナナがかなりいいキャラです。両者の関係性も含め。

本人は威厳ある父親でいたいようですが、なんだかうまく決まらない。
カフスや胸当てはおもちゃにされるし転んでも家族は自分より犬のナナを心配する。

ナナは本当に優秀だし可愛いですよね。
ヘッドドレスをつけてひたむきに仕事をする姿がたまらないです。
ナナが悪いわけじゃないのに怒られて外に出されても自らを繋ぐ紐を差し出す姿には怒り心頭のジョージも毒気を抜かれてしまう。ディズニーの犬キャラの中でも屈指の可愛さ。

ジョージがナナを繋ぎながら小さく語りかける姿は、見ようによっては妻よりもナナの方がジョージの理解者であるかのようにも見えます。


序盤にピーターパンの話を空想だと切り捨てたジョージが、エンディングで空飛ぶ船を見て発するセリフのエモさ。



ピーターパンは「幼稚さ」の描写が本当にすごいです。

特にウェンディに嫉妬して意地悪するティンクや人魚たちはいかにも、ですよね。
けっこう陰湿かつ悪質なのに、咎められれば「からかっただけです〜」って。こういう子供、いる。

フック船長はじめ海賊やインディアンたちは外見こそ大人ですが、内面も大人…とは言いがたい。

フックは悪知恵は働きますが、腕を取られた腹いせという目的からピーターパンに固執し船員たちの「航海に出たい」という希望は無視するし平気で海に投げ落としたりするジャイアン的リーダーです。

インディアンもロストボーイたちの言い分を聞かず「娘が帰ってこなければ火炙り」という一方的な態度。

あの世界は精神的にみんな幼いんですよね。自分の言い分を通す人たちばかりです。
彼らがネバーランドという大人がいない国の住人だというなによりの証ですが。


そしてピーターパン。
周囲のロストボーイたちが幼い少年なので、その中心でリーダーシップもあり体の大きいピーターパンは一見「お兄さん」に見えますが、自分の意に背いたものは追放などやっていることはガキ大将と大差ありません。

また、たびたびフックにワニをけしかけるのは大人をからかう悪ガキの図です。
アニメなので超人的なアクションでフックは毎回命からがら逃げていますが、過去に片手を失っていますしフックからしたら冗談じゃないですよね。

ピーターパンは現実であるなら「遊び半分で友達を高所から突き落としたら大変なことになった」みたいな事故を起こしかねない、子供によくある危険意識の低さを感じさせます。

フックは確かに「悪いやつ」ではあるのですが悪いやつならいたずらにワニをけしかして命を脅かして笑いものにしていいのか、というとそんなことはなく。
そういう点からピーターパンが「ヒーロー」とか「王子様」みたいないわゆる正義側の存在では決してないことが伺えます。

フックと負けず劣らずどころかピーターパンの方があくどい、ずる賢いのではというシーンすら散見されるんですよね。


そんな彼に憧れネバーランドへとやってきたウェンディたちですが、初っ端からティンクの作戦で撃ち落とされそうになるわ人魚には陰湿な嫌がらせを受けて海に引きずり込まれそうになるわ。

そのときピーターパンはといえばティンクをいきなり永久追放しようとするし人魚から助けてくれるどころかいじめられるウェンディをみて笑ってるんですよ。

ティンクを爪弾きにしようとしたり自分を助けてくれないピーターパンは、ウェンディが思っていた憧れのピーターパン像とは違っていたのでしょう。
この時点でウェンディはネバーランドとピーターパンに少しガッカリしてしまいます。

「ピーターパン」というタイトルですが、この作品はウェンディがネバーランドという「大人のいない世界」へ来たことで自分は大人になるという変化を受け入れる物語です。

人魚の入り江からドクロ岩へ移動するウェンディの飛び方が少しぎこちないのは、飛ぶためには楽しいことを考える必要があるのに直前まで嫌な思いをしていたこと、タイガーリリーの誘拐という不穏な気配を感じていたことに加え、ピーターパンとネバーランドの「幼稚さ」を否定し始めていることの表れではないでしょうか。

ネバーランドの洗礼を受け「子供」であることのデメリットをウェンディはかすかに感じたのだと思います。


また、ドクロ岩でフックとピーターパンが戦う際にウェンディは「だめよ」とピーターパンを静止する言葉をかけています。
おそらくロストボーイたちならピーターパンを煽りはやし立てていたでしょう。

冒頭のティンクの件もですが、ウェンディは基本的に「協調」を求めていますよね。
人魚と仲良くしたかったし、意地悪されてもティンクを追放するのには賛成できないし、たとえフック船長でも殺したりはしてほしくない。
ウェンディは精神的にはもう大人なんですよね。

ピーターパンやロストボーイ、弟たちが持っている「無邪気な残酷さ」はもうウェンディには持てません。

一般的に女子の方が精神的な成長は早いといいますし、そもそもピーターパンがダーリング家に来ていたのもウェンディが弟たちに聞かせる物語が目当てでした。
「大人になるなんてダメだ」とウェンディをネバーランドに連れ出したピーターパンですが、彼自身ウェンディに母性のようなものを見出していたのではないでしょうか。

タイガーリリーを救出したピーターパン一行はインディアンの村で祭りに参加しますが、そこでウェンディはまたしても嫌な思いをしてしまいます。

楽しく踊っていたところ「女は薪を運べ」と踊ることを止められてしまうんですね。

ピーターパンも弟たちもロストボーイたちも祭りに夢中で誰も庇ってくれないどころか、一緒になってウェンディを召使い扱いする始末。
おまけにピーターパンはタイガーリリーにデレデレで、怒って一人隠れ家に帰るウェンディ。

そして彼らが隠れ家へ戻ってきたあと、決定的なことが起こります。

ウェンディは弟たちへ家へ帰ろうと説得しますがネバーランドが楽しい彼らはそれを拒否。
母親の話をすると下の弟マイケルが「お母さんってなんだっけ」と…。これかなり怖いですよね。

「楽しいことに夢中になって大切なものをなくしてしまう」という状況は「ピノキオ」のプレジャーアイランドを思わせます。

ウェンディはロストボーイたちに母親について教え、子守唄を歌います。
このとき、ウェンディはすっかり大人になってしまいました。ロストボーイたちは優しく諭すウェンディに母親の姿をみたのです。

子供部屋から卒業することを言いつけられ「大人になりたくない」と言っていたウェンディ。
望み通り大人になることがないネバーランドに来たことで逆にウェンディは大人に成長しました。

大人になんかなっちゃダメだ、と言ったピーターパンこそがウェンディを大人にしてしまった。


母親を想い、家に帰りたいと言い出したロストボーイたちに対してピーターパンは癇癪を起こし「勝手にしろ」とすねてしまいます。
流石は生粋のネバーランドの住人。

大人になったウェンディと、大人になることのないピーターパンはここで完全に住む世界が別れてしまいました。
ウェンディはピーターパンに別れを告げます。それは子供でいることへの決別。

しかしあんなに持ち上げていたピーターパンとあっさり別れてテンション高く隠れ家を出ていくロストボーイ&弟たち。やはり彼らはまだ子供だなぁと思います。なにか言いたげにピーターパンが去った後を見つめるウェンディとの対比がすごいですね。

このシーンはピーターパンが捨てられたようでちょっと胸が痛む。


隠れ家を出たところで海賊に捕まってしまうウェンディたち。

仲間になれば命を助けてやるというフックに我先にと駆け出すロストボーイたちにはもはや呆れる。彼らは人間的に未熟だから仕方ないんだけど!

彼らを一喝するウェンディにもう迷いはありません。 
ネバーランドへ来た当初フックを見た時には不安そうな顔をしていたウェンディですが、ピーターパンとの決別後にはロストボーイたちとは違い毅然とした態度で刃向かい海へ飛び込むことを選んでいます。
ウェンディが精神的に完全に自立した証でしょう。

海へ飛び込んだウェンディをピーターパンが救ってくれますが、お姫様抱っこなんですよね。すごく素敵なカットで大好きです。
ピーターパンのこと散々言っといてなんですが、これに関しては「こんなん惚れてまうやろ」としか言えないのでちょっと悪い男がモテるってこういうことなんだろうな。

あと、もうピーターパンはウェンディたちに妖精の粉をかけるつもりはないのだろうと思いました。もう彼らはネバーランドの住人ではなくなるから。

実際エンディングまでピーターパン(とティンク)以外のキャラクターが空を飛ぶシーンはありません。

フックを倒し海賊船でロンドンへ向かう際、ピーターパンがウェンディを「ご婦人(マダム)」と呼んだのは少し寂しくもありました。
出会ったときは礼儀正しくフルネームを名乗るウェンディに対して「ウェンディでいい」と言ってくれたのに…

ウェンディたちと海賊船に乗りロンドンまでやってきたロストボーイたちは「まだ大人になる準備ができていない」という理由でピーターパンとネバーランドへ引き返しています。

ウェンディがネバーランドでの出来事をすべて受け入れて憧れのピーターパンのイエスマンになっていたり、ネバーランドロストボーイたちと一緒になってはしゃいでいたジョンとマイケルだけだったらきっとロンドンへは戻ってこれなかっただろうな。


見返すとピーターパンのことをけっこうボロクソに言ってしまったのですが私はこの作品もピーターパンも大好きです。

彼を手放しで肯定することはできませんしするべきではないと思うんですが、それは私がもう大人だからなんですよね。
子供のヒーローであるピーターパンには大人からの肯定なんて不要なので、彼はあのままでいいんだと思います。


ピーターパンについて話をするとどうしてもインディアンの描き方や、インディアンの村で見られた男尊女卑的な描写の話にぶち当たるのですが…
「作品の修正や封印は不要」私個人の意見としてはこれだけは言いたいです。

差別によって苦しむ人たちを無視しようというわけではなく、批判されるシーンはそもそも差別しようとか貶めようという意図で組み込まれたわけではないと思うのです。ピーターパンに限らず、他のディズニー作品も同様に。
少なくともディズニーの「白雪姫」以降の長編アニメーション作品たちに悪意を込めて作られたものはないと思っています。


現在の視点でみれば問題のある表現だったとしても、その描写を削除することが差別の撤廃や解消に繋がるとは思えません。
「間違っていた、これはよくない表現だった」と思うのならむしろ「なかったこと」にしてはいけないです。
臭い物に蓋をするのではなく、それが当たり前だった時代があることを知るべきだし語り継ぐべきだと思います。

「みんなが駄目だと言うから駄目」ではなく「なぜいけないのか、どういう点がよくないか」を考え、多くの人が理解しないといずれ同じような間違いは繰り返されます。
シーンの削除や作品の封印は、考える機会を奪うだけじゃないかと個人的には思います。

こういった問題は日本人には感覚的にわかりづらいのもありますし詳しいわけではないのであまり偉そうなことは言えないのですが、少なくとも私はこういった理由で編集などは行わず当時の作品をそのまま観たいと思っています。