ディズニー映画感想

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ミラベルと魔法だらけの家 初見感想

「ミラベルと魔法だらけの家」
吹き替え版初見時の感想です。
劇場で一度観たのみ時点での感想なので、繰り返し観た今とは少し違うところもあります。


▼ミラベルのギフト

個人的にはミラベルのギフトはやっぱりなかった。正確には与えられなかった、のだと思います。

そもそも「ギフト」はエンカントを作り上げた「奇跡」の一端、と考えてます。エンカントを維持するための要素というか。
そしてその奇跡が与えられたきっかけは祖父ペドロの行動。
彼が身を呈して守りたかったものは「家族の幸せ」です。

現在のマドリガル家はどうでしょうか。
祖母アルマはギフトの力で民に尽くすことが正しいと信じ、いってしまえば家族の気持ちより町の安定を優先しています。
ギフトや他者を重んじるアルマの教えの影響で、少なくともイサベラとルイーサ、ブルーノはギフトを持つゆえに苦しんでいますよね。

だから家はひび割れロウソクの火は尽きてしまった。ペドロが願った「家族の幸せ」はギフトの存在によって崩れてしまったからです。
ルイーサはプレッシャーに苦しめられイサベラは好きでもない男と結婚しブルーノは一人壁の中、では幸せな家族とはいえません。

靴を履くにも皿を出すにも魔法が使われていた魔法だらけの家をミラベルは魔法を使わずに再建しました。そしてドアノブにミラベルが触れたことで再び家に魔法が溢れます。
これはミラベルにギフトが授けられた、というよりアルマに起きた「奇跡」が今度はミラベルに起こったのだと思います。

以前の家はアルマが授けられた奇跡によって生まれたものでしたが、新しい家はミラベルが授けられた奇跡で生まれた家です。新しい家のロウソクはミラベル。

ブルーノのビジョンは間違いではありませんでした。家が崩れたとき、確かに一度「奇跡」は終わり魔法は消えたのです。

アルマからミラベルへ、祖母から孫へ。世代を超えて奇跡を受け継ぐ「家族」の物語。


▼「ギフト」ではない理由

個人的な感情ですがミラベルに与えられたものが「ギフト」でなく「奇跡」であってほしいのは「結局"持ってる"方がいいじゃん」という結論になってほしくないからです。

"持ってない"ミラベルがやり遂げることに意味がある話だと思うので、やり遂げたご褒美が「"持ってる側"にしてもらうこと」だとちょっとモヤモヤするんですよね。
「ソウルフルワールド」の感想でも書いた「持たないことは劣っていることではない」と似たような気持ち。

祖父がその身で家族の命を守ったように、ミラベルは家族の心を守りました。二人ともギフトなんて持っていない、ただの人間です。

ミラベルも祖父も共通して「"持たないもの"が頑張ったから奇跡が起きた」と私は解釈しています。


▼ミラベルの存在価値

ミラベルは家族の中で一人だけギフトがもらえないだけでもしんどいのに、それが理由でアルマとも距離ができてしまっています。
あの一家においてギフトがないことは恐ろしいこと。幼いアントニオでさえそれを理解しています。その当事者であるミラベルの胸中は計り知れない。

私だったら絶対卑屈になるし下手したらグレてる。私だけ血が繋がってないんじゃ?とか思うかもしれない。

でもミラベルは「すごい家族、素敵な家族」と軽快に歌います。
ミラベルの魔法は?と何度せかされても自分のことは決して歌わない、ギフトがないコンプレックスを強く感じていながらも「私"たち"はマドリガル」と自身も家族の一員であることは絶対に譲りません。強いよ。

ミラベルが家族写真に入れないシーン、本当にキツかった…アルマからの当たりがきついぶん、全編通して両親がはっきりとミラベルの味方であると示してくれていて本当によかったです。
魔法の心配ばかりのアルマに、僕はミラベルを思ってるんだ!と反論したアグスティンがすごく頼もしかった。

ミラベルは家の飾りつけから命を張った無茶に至るまで(ブルーノの部屋とか)いろいろ頑張っているのですがことごとくアルマに否定されてしまいます。
それでもミラベルは家族のために動くことをやめませんでした。ミラベルにとって「家族のため」は自分のためでもあるからです。

ギフトがないミラベルは家族の役に立つことでアルマに、家族に認めてもらおうとしています。
他の家族のように町の人の役に立てないから、家族を助けることで自身の存在価値を見出そうとしているんですよね。

「ミラベルと魔法だらけの家」は家族の絆のストーリーであると同時に、思春期の少女の成長話でもあります。

そしてこのミラベルの「特別な力はないけど何かを成す」って往年のクラシックプリンセスたちを思わせます。
明るく優しく腐らず、困難に立ち向かう姿は白雪姫やシンデレラに通じるものがあり、だから私はミラベルを「最近のディズニー主人公で一番好き」と感じたんだと思います。
私が大好きなクラシックディズニーの要素を、2021年にミラベルが持って生まれてくれたことが本当に嬉しいです。

▼アルマ

話のキーになるミラベルの祖母アルマですが、難しいキャラだなぁと思いました。

アルマの志は決して悪ではないんですよね。マドリガル家の家長でありながら町の指導者のような役割も持っています。背負っているものがとても大きいんですよね。

それはわかりつつもやはりアルマがミラベルにしてきたことに対して、和解がすんなりといきすぎて私はスッキリしませんでした。

アルマは「奇跡」こそ授かりましたがアルマ自身には特別な「ギフト」はないように思えます。
強いて言うなら家そのものがアルマに授けられたギフトというか。しかしアルマの奇跡によって出来た家は崩れ落ちてしまいます。

ミラベルに新しい奇跡がもたらされたことで生まれた新しい家でのアルマは「持たない側」の人間になるのではないでしょうか。
それは今までの、ミラベルの立場。

「持たない側」の苦しみを知るミラベルはアルマのことを今後も変わらず尊敬し敬い続けるでしょう。

「アルマを受け入れるか受け入れないかでだいぶ違う」と仰っていた方がいて、そのとおりだな、と。
私は一度みただけではアルマへのモヤモヤを解消しきれずにいます…


▼イサベラとルイーサ

本作を観ていて最初に不穏な気配を感じたのがルイーサの歌でした。

マドリガル家は魔法が使えて、特別で、みたいなことをさっきは言っていなかったか?

序盤からいろいろな頼み事をされてみんなの頼りになっている風だったルイーサの心の叫びは「これ、ただの明るい家族の絆ストーリーじゃないな」と思わせるには充分だった。

魔法が消える。マドリガル家で魔法=存在価値のような教育をされ、そのなかでも人一倍みんなから頼られていたルイーサだからなおさら恐怖が強かったんだろう。

イサベラはギフトがあるから、というか本人の立ち振る舞いによるストレスも大きかったと思うけどそれも「ギフトがある人間=マドリガル家の人間としてふさわしく」を突き詰めた末だったんだろうな。


家族のことを悪く言わないミラベルがイサベラとは相性が悪いと言っていたけど、イサベラからしたら自由奔放なミラベルが羨ましく腹立たしかったところもあるんでしょう。
ミラベルはギフトがないからマドリガル家らしくなくてもいい、立派で特別じゃなくてもいい、とイサベラは思っていたのかもしれない。

フリエッタの娘たちはみんな責任感、というか期待に応えよう、という思いが強いように感じます。
作中で語られた二人はもちろん、ミラベルも人の役に立ちたいと願っています。

おそらくミラベルにギフトがあったら姉たち同様、それを負担に思う日が来たのではないでしょうか。

突き詰めればアルマやブルーノも責任感ゆえにジレンマに陥っているようにみえるのでマドリガル家にはそういう気質があるのかもしれません。


そもそも考えてみたらギフトってデメリットもあるんじゃないのかなと思います。

イサベラやカミロのように自分の意思でギフトの効果を出したりしまったり出来るならともかく、ペパやドロレスのように自分の意思に関係なく発動してしまうギフトなら困ったこともたくさんあるのでは。

実際ドロレスは想い人が自分の従姉妹にプロポーズするという辛い状況を誰より早く知ってしまっているし。
ペパのギフトも、彼女は元来喜怒哀楽が激しいみたいですがイサベラのように本心を隠して振る舞いたい人に発現してしまったら大変。

あと各部屋って多分ギフトの発現時に作られるみたいですが、ある程度自分のギフトでアレンジとかしてるんでしょうか?
イサベラやアントニオの華やかなお部屋に対してブルーノおじさんのお部屋、あまりも酷じゃない…?

それなりにギフトの能力に寄ったお部屋なのかなと思うんですが、ルイーサとかカミロはどんな部屋なんだろう


魔法、家族、感動!で落ち着くのかと思っていたらとんだクソ重案件でびっくりしました。下手したら機能不全家族になりかねないよこんなの。

ノーと言えなかったり、誰かと比べられたり、劣等感に苛まれた経験がある人は想像以上のダメージを食らうかもしれない…
テーブルに描かれたブルーノおじさんのお皿のシーンとかゾワッ…ってなる

だけどディズニーだからちゃんとハッピーエンドにはまとめてくれています。怖くないよ
多分原語版だとまた雰囲気が変わると思うので字幕版を観れる日が楽しみですね(最寄りは吹き替えのみです)